『 カーイ・トゥアとカーイ・コーン  』  


あるTVプロデューサーに会った。
おいらのことをタイ好きと知ってる人だ。
で、あるドキュメンタリー番組がらみの話しで、日本のあるボランティア・グループの話を聞いたんだよね。

そのボランティア・グループは、アジアの貧しい子供達の教育支援をしているのだそうで。
で、メンバーである日本の奥さま方5、6人が先日、タイの北部のある小学校を訪ねたんだそうだ。
で、現地には行ってないプロデューサー氏は、その奥さま方から聞いた話として、「タイの田舎は、まだまだ貧しいんですってね」とか「タイの田舎の子供たちって、みんな明るくって眼が輝いてて、素朴で人なつっこくって…」と言うような話しだったのだけど、ちょっと違うんだよなー……って話を聞いてしまってね。

話と言うのはこうだ。

奥さま方は、鉛筆とかノートとかを配りながら、
「お嬢ちゃん。お嬢ちゃんは大きくなったら、何になりたいの?」
って聞いたんだそうだ。
すると、その8歳ほどの少女は、
「カーイコーン!」
って、胸を張って言ったんですって。

khaai khoong (どちらも下げてから上げる声調:khoongのooはアと言った時の口
        の形でオと言う発音)

例によって俄かタイ語教室になっちゃうけど、
khaai は「売る」。 khoong は「物」。
で、khaai khoong は「物売り=(物を売る)商売」と言う意味なのね。

すると奥様は通訳に困った眼を向け、
「あら〜、商売って言ってもいろいろあるわよねー。何を売るのかなー?」
「(また胸を張って)カーイコーン!」

奥さまは、「まぁ、幼い子だし、田舎にはそんなにいろんな商売もある訳じゃないから、仕方がないか」って、それ以上聞く事はしなかったのだけど…。
って話を聞いた訳さ。
プロデューサー氏は、ボランティア・グループの奥さまから聞いたままに、それを田舎の子の素朴さと同時に無知さとか教育水準の低さと言う認識で語ってくれた訳さ。

違うんだよねー、これって。

「カーイコーン」には対語があってさ。それは「カーイトゥア」。

khaai(売る) tua(体)

もうお分かりですよね!

恐らく都会の子とか、富裕な家庭の子は、こんな風な対語としてこれらの言葉を使うことはないんだろうな。言葉としてはごく日常的な言葉として知っているだろうけれど。

あ、そうだ! 本筋を言う前に、これも言わなくちゃだね。
だって、「体売り」だよー。
日本だったら「春を売る」だったり「笑いを売る(売笑婦って言い方があったんだよ、昔ね)」だったり、「特飲街の酌婦」だったり、はたまた「援助交際」だったりするんだよー。
それがタイでは「体売り」!
なんと直裁的なことか。
これはどういうことなんだろうね。
ま、タイ語は前にも言ったように、一音節の短い基本語を足し算していってあらゆる言葉を作る(注)って性格の言語だから、ってこともあるけど、どうもそれだけじゃないよね。

  (注)5万語の辞書があったとする。でもこの辞書には1000の言葉しか
     載ってない。クイズみたいでしょ?
     タイ語は1000ばかりの基本語を足し算的に複合・合成して、様々
     な言葉を作るのである。だから、簡単な言語さ。覚え方のスタートさ
     え間違わなければ、ね。

なんか、もっと、現実を直視するってゆーか、この世のあらゆる事象をまずは受け入れる、ってゆーかー。
そして、いや、だからこそ、臭いものにも蓋をせず、包み隠さずそこにあることを認める…みたいなー。
これもやはり、南伝上座部仏教の教えから来てるように思うんだけど…。

で、舞台はタイの北部ある町に戻るんだけど、8歳の少女は胸を張って、
「物売りになります。体は売りません!」
って、宣言したんだよね。

売春ってさ。
日本じゃすぐ「貧しさ」と直結して論評するよね。
特に識者とかボランティアの人とかは…ね。
どうしてなんだろ?
それって、ひょっとすると後ろめたさの表れなのかな?
エセ良識派のさ。
それとも、そうとでも考えなければ買春できない、または買春してる同胞をかばいきれないとか同胞の恥を少しでも合理的に見せるための…みたいな屈折した感情かなぁ…。
よくわかんないけど。

タイはね。もうNo.1からこのコラムを読んでくださってる皆さんには分かって頂いてることだけど、ゼンゼン貧しくないのよ。
日本に比べりゃ、もうすごく豊かなんでさ。
昔の日本の、東北の農民の娘が売られたのとは、事情が違うんだよね。

年中たわわに実る南国でね、しかも、人々が困っている他人に施す機会を常に虎視眈々と狙ってるという国なんだからね。
先ず、飢えるってことがないよね。

タイ人にとっての労働の意味と労働の質ってゆーかー内容ってゆーかー、これなんか見ても、もうタイの方がず〜っとのんびりしてて人間的なんでさ。(No.4参照
経済的に貧しいなんてことはゼッタイにないね。
ただ、圧倒的な資本とノウハウによって、CMしまくり、キャンペーンしまくって、日本が売り込んだ「商品」の存在がさ、タイの人々を精神的に随分とスポイルしたってことはある訳でさ。
ま、もともと珍しい物好きのタイ人のある種の物欲に火を付けた、ってことはあるんだけど…。
そして、それが、北部やイーサーンからの khaai tua 出稼ぎを増やしたってことはあるんだけど…。

北部やイーサーンの奥深く(山岳部や農業地帯)を行くとね。
なんだか、やたら新しい家が多いな…って村が、所々で目に付くんだよ。
新しいバイクが軒先に停めてあったりしてさ。
見てると3歳ほどの男の子と5歳ほどの女の子が出て来て、バイクの周りで誰かを待ってる風。
と、50歳ほどの女が出て来てね。おばぁちゃんなんだろうな。
で、ブルッとエンジンを掛けて、前と後ろに子供を乗せて、どっかに出掛けたりするんだけど…。

こう言うのって、みんな khaai tua に娘が出てる村なんだよね。
どうかすると村長が女衒みたいなことやってる村があったりする。あったりした、と言うべきかも…。
おいらも、そうね、もう20年ほども昔のことになるけど、ある村で村長さんに言われたことあるもんね。
「どうです。この村のよりすぐりを何人か日本に連れて行ってくれませんかねー?」って。
いくら、一宿一飯の恩義があるからって、こればかりはねー。

でもね、ここ15年ばかりの間に、随分変わったように思う。

ま、HIVがらみだったりもするんだけど、 khaai tua は、やめましょうって、キャンペーンが進んだように思う。
最初は「民主化」以降の学生が、教師になって地方に行って、啓蒙したんだったと思う。
(これは命懸けのものだった。森林密伐の題材に変えてるが「田舎の先生」という映画がある。)
で、後にHIVがらみのキャンペーンが加わった。

『仏様から預かっている体をいじめることを、仏様は喜びません。』
『体を売って得たお金を貰って喜ぶ親は、いけない親です。』

子供と同時に、親の方も教えなくてはいけないってのが、タイなんだよね。
なにしろ、サヌックが生活規範の第一条って親たちだから。(No.6参照

ま、いずれにせよ、貧しいから売春するのではないなー。少なくともタイにおいてはね。
なんか、みんなサヌックな生き方を信条とし、親に家や物やお金をあげるのが親孝行だとされて来て、子供がみんな親孝行な国の悲劇ってゆーかー、錯誤とゆーかー…。


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